志々島
SHISHIJIMA


小さな家族の島 志々島
宇野港からチャーター船で約1時間15分。
香川県三豊市に属する周囲3.8kmの小さな島、志々島。
往時には1000人近い人口を擁したこの島ですが、現在の人口は19人(2022.1月現在)。



小さな島ですが、珍しい両墓制の風習や、水軍時代まで遡るといわれる茶粥などの独特の文化が今も息づいています。
そして山の中腹に鎮守する島の守り神、樹齢1200年の大楠。
その地を這うような非現実的で圧倒的な存在感は古来より人々を魅了して止みません。
この巨木に魅了されて島に住み着く人もいるといいます。
巨木を抜けた先の展望台から見渡す瀬戸内海は絶景で、季節によっては美しい花畑が咲き誇ります。



Interview島の声

島の最高齢 上田さん
生まれ育ちも志々島。島では最高齢の97歳。島一番の商店であった上田商店を10年ほど前まで営む。引退後は日々を悠々自適にすごす。
上田さんについて教えて下さい。
生まれも育ちも志々島です。
若い時には九州の叔母のところに養女として出ていましたが、空襲が激しくなったため、
父に呼び戻されてこちらに戻ってきました。
その後、観音寺市の叔父の元で働いたりしていましたが、主人との縁談があって島に戻ってきました。
この島では主人と一緒に商店をしていました。
島では一番大きな商店で、お米やたばこといった専売品や肥料など、島で必要なものは「おしめから塔婆まで」手広く扱っていました。
近隣の粟島や高見島にも配達をしていて、毎日とても忙しかったです。
さらに終戦後、復員した人たちも戻ってくると、一気に1000人近い人口となって、
その頃には朝早く起きて夜遅くまで仕事をしていました。
身体は生まれつき丈夫で病気はほとんどしたことがありません。
あわてものなので怪我は結構しますが。
子供のころから貧しく、自然の物ばかり食べていたのがよかったのかもしれません。
若い頃には町の方で暮らしたいと思っていましたけれど、
今考えるとここに戻ってきてよかったのかなあと思います。




上田さんの思う、志々島の一番好きなところを教えてください。
この島で一番好きなところはここ。「くすくす」です。
雨の日など、家にずっと家事をするだけだと一日黙っていることもあって寂しいですが、
ここにきておしゃべりをするのが楽しいです。
観光船も帰って島が落ち着いた時間になると、同じような思いの人達がたいてい何人か集まっているので、そんな人たちといつもおしゃべりしています。
ここでは60も歳が違う人とも友達のように話が出来て幸せです。
一昨年、脚を骨折して2か月間島を離れて入院しました。
先生からは島に帰るのは難しいかもしれないと言われていましたが、
島に帰りたい、みんなに会いたいという想いで一生懸命リハビリしました。
よちよち歩きですが奇跡的に回復して島に戻ってこれました。
上田さんから島を訪れる方にメッセージはありますか?
普段あまり観光客の人と話す機会はないのですが、
「ようおいでになったな。
ええお天気でよかったな。
うえ上がっておいでよ。
しんどいけんどなあ。
ええ運動になるんで。
あんた車社会じゃけん、
車ばっかりのっりょんけどな。
たまには大楠上がって、
気持ちはええし、空気はええし、
ええとこで。」
それで(大楠から)帰ってきたら、
「ええ運動になったな。
今日は晩御飯が美味しいで。」
と声をかけるくらいかな。


PICK UP

カフェくすくす

大楠

茶粥
茶粥(ちゃがゆ)について
日本では珍しい発酵させたお茶「碁石茶(ごいしちゃ)」を使用し、米や季節の雑穀を入れて作るお粥です。
畑作中心で貴重品の米を大事に食べるために生まれたといわれる島独自の料理です。
茶粥に使われる碁石茶は幻の茶とも呼ばれ、現在は高知県の大豊市でのみ製造されており、国の選択無形民俗文化財にも登録されています。
そのルーツは中国の酸茶といわれ、瀬戸内海や北九州の水軍を通じて製造法が日本に伝来してきたと考えられています。
苦みが少なく、すっきりとした少し酸味のある味わいは、塩分を含んだ島の井戸水と相性がよく、また茶渋で漁網や綱の紡食にも用いられていたことから、島でお茶と言えば碁石茶といわれます。
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