六島
島の形

会いに行く島 六島

宇野港からチャーター船で1時間30分。
桟橋を降りると「おかえり」と書かれた味のある看板が迎えてくれます。

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六島は笠岡諸島の最南端であるのと同時に岡山県の最南端に位置する島。
江戸時代には近海で獲れた魚を生きたまま関西に輸出する「活舟」の中心地として、 瀬戸内海の海上輸送の拠点として栄えました。
対岸の香川県荘内半島との間は、瀬戸内海の主要航路の一つ。
この狭い海峡は昔から潮流が速く、海難事故が絶えなかったことから
100年前の大正11年、岡山県で最初に灯台が設置されました。
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一世紀を経て、島だけではなくこの海のシンボルとなった灯台
そのまわりには島の人々が協力して大切に育てた10万本の水仙が植えられ、 立春になると甘い香りが漂い、美しく花を咲かせます。
瀬戸内海の旅人の安全を見守り、人々の絆を繋ぐ灯台。
あなたもきっと優しく迎えてくれることでしょう。

Interview島の声

六島浜醸造所 代表  井関さん

大阪府出身。祖母が六島の出身。
2016年に地域おこし協力隊員として大阪から六島に移住。
2019年には六島浜醸造所を設立。
醸造所で製造販売している六島ビールは六島の名物となっている。

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井関さんについて教えて下さい。

私は生まれも育ちも大阪で、祖母が六島生まれなんです。
祖母は高度経済成長期の二十歳の頃に大阪に引っ越したそうです。

私自身は元々大阪で会社員をしていたのですが、 社会人になって2年目の頃にはなんとなく脱サラを考えはじめていました。 都会のドライさが自分の価値観とは異なるような感覚があったんですよね。
そんな中、ふいに母親から六島の青年団のおみこし担ぎの人手が足りないと言われ、 何か役に立てたらいいなと思って祖母の出身地である六島に向かうことになりました。

島に上陸すると、それが本当に印象的だったんですが、 船から降りてすぐに島の人が「おかえり」と声を掛けてくれたんです。 まるで実家のようなえも言えぬ温かさを感じました。
この島には、なんとなく今の世の中に欠けているように感じていた人と人のつながり、 互助関係みたいなものが感じられるんですよね。 そこに感銘を受けてまもなく、独立するならここだと決意して島にやって来ました。

現在6年目になりますが、六島自体の可能性はスゴく感じていたのでここに来ることや独立することに怖さはありませんでしたね。

六島浜醸造所について教えてください。

最初からここに住むのであれば「島で何か産業を起こさなければ」「ここで住んで経済を回さなければ」という強い思いがありました。
まずは島に住むなら介護の資格が必要だろうと思って、資格を取得して介護の仕事を始めました。介護をやっていると、お年寄りの持つ昔話をよく聞きます。 皆さん、その人が亡くなると失われてしまうような脳内・アナログでしか保存されていない情報をたくさん持っているんですよね。

そんな中で、現在ジャングルになっているような土地が昔は畑で、麦や芋や豆を育てていたと聞きました。 話を聞いているうちに、海の青と、金色の麦畑の美しいコントラストの島の景色をまた見て見たいなという思いが湧いてきて、麦畑作りを始めたのが始まりです。 実は麦畑が先なんですよね。(笑い)
麦が出来たらどうするか、そこで思いついたのがビールでした。
最初はビールのことは種類も作り方も何も全く分からない状態で始めましたが、 たくさんの人たちに支えて貰って、六島浜醸造所が生まれました。

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六島のみどころはどこですか?

やっぱり灯台の水仙を見てほしいですね。
水仙は人が植えて手をかけて整備しているものです。
地元の人や、それ以外の関わってくれる人、人と人のつながりの証だと思います。 そこに人がいて言葉を交わしたり、体験を共有したりすることで地域に味が出来てくるのだと思います。

個人的にこの島にキャッチコピーをつけるなら「会いにいく島」です。
六島に行って、人に、あの人に会おうというところだと思います。
そしてまた会いに来てください。

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六島灯台からの眺め

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灯台の水仙

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六島ビール