真鍋島
MANABESHIMA


歴史の島 真鍋島
宇野港からチャーター船で1時間15分。
笠岡諸島の中でも南端近くの島です。


近海では鯛などの高級魚が良く獲れ、鯛網漁業の中心地としても栄えました。 島に点々と残る大きな屋敷が当時の網本達の隆盛を今に伝えます。
戦後には寒菊の栽培が島中で行われ、島一面に咲き誇る花畑を称えて花の島と呼ばれた時代もありました。


Interview島の声



真鍋島観光協会 関東さん
生まれ育ちも真鍋島。中学校を卒業して対岸の笠岡市に住んでいたが、定年を機に真鍋島にUターン。
現在は真鍋島観光協会で観光客の案内や、ふれあいパーク等の管理を行う傍ら、
真鍋島にんにく栽培研究会のメンバーとして、かつて寒菊が栽培されていた耕作放棄地を利用して、赤にんにくの栽培や加工販売を行っている。

真鍋島について教えて下さい。
真鍋島は古い歴史があり、周りの島の中でも特別な位置にあった島です。
古くは地方の豪族がおさめていましたが、源平合戦の時に負けて、幕府の直轄地になった時期もあります。
島には城山(じょうやま)、城山(しろやま)、沢津(そうず)という3か所の砦があって、
登ればわかるのですが、城址(じょうし)から360度四国から本州までが見渡せます。
そういう場所に位置するため、瀬戸内海の交通を監視したりする役割の島だったようです。
戦後、漁獲量の減少によって漁がきびしくなると、花、特に寒菊の栽培が始まりました。
当時は山全体が花畑で、島全体が公園という感じでした。 昔は寒菊をまとめて売って、そのお金で子供を学校にいかせていました。 子供の頃には家の手伝いで山を何往復もした思い出もあります。 今も港で寒菊が売られているのがその名残です。



どんなことを知っていると真鍋島を楽しめるでしょうか。
いまでこそ笠岡とは簡単に行き来ができますが、昔は移動に非常に時間が掛かったため、この島ではいろんな文化が生まれました。
たとえば病気になったときに願掛けをする場所をつくったり、
四国まで行くのは大変なので、この島の中に八十八ヵ所をつくったり。
やはり島は生活が苦しいなかで病気にかからないようにという想いが強くあって、島の人は信心深くなっていったようです。
よく見ると、願掛けの祠のひとつひとつにもちゃんと波避けの岩がついていたりと非常に手が込んでいます。
また、そういった場所のそれぞれにお祭りがあり、歳時記を見てみると1月~12月までずっとお祭りや行事があるのです。今も八幡様の走り神輿などの行事が残っています。
やっぱり行事があることで島がひとつになれる時期がある。
あらためて昔の人の知恵はすごいな、そうやって島を守ってきたのだなと思います。
その島の文化を調べるというのは、紐解いていくと昔の人の知恵に繋がっていきます。
不便なところを不便なところなりに考えた生活ができているのです。
そういったところを知っておくとよいかもしれないですね。
関東さんのお気に入りのスポットを
教えて下さい。
今は真鍋島ふれあいパークの管理をしているので、ふれあいパークですかね。
特に春になると桜が綺麗に咲いて、わざわざ海外から見に来られた方がいらっしゃいました。
昭和の時代には学生の一人旅が流行っていて、当時の学生さんは島を訪れると山に入り、自分の好きな場所をみつけて、
そこで本を読んで一日過ごして帰るといった楽しみ方をしていました。
そんな風に自分の好きな場所を見つけてもらうのが一番いいかもしれませんね。


PICK UP

真鍋島ふれあいパーク

城山展望台

漁師飯
トリビア